8月29日、イギリスのロントリー社が、ウエハースをチョコレートで包んだ「チョコレートクリスプ」を発売。ロントリー社の工場で働く男性から寄せられた「お弁当と一緒に、職場に持っていけるチョコレートバーを作ってはどうか」という提案から、初めて「キットカット」の元となる4フィンガー(バーが4本連なった形状)の製品が生まれました。
イギリスで大ヒットとなった「チョコレートクリスプ」。製品名が少し長いことを懸念したロントリー社は、1937年5月、「チョコレートクリスプ」に「KITKAT(キットカット)」というブランドを付け、「キットカット チョコレートクリスプ」としました。 時を同じくして、この年初めて「キットカット」で「Break(ブレイク)」する、というコンセプトを打ち出した広告を開始。70年以上たった今でも、「キットカット」と「ブレイク」を結びつけたそのコンセプトは継続して使用されるほど「キットカット」に欠かせないブランド資産になったのです。
第二次世界大戦が始まると、チョコレートの大切な原材料の一つである牛乳の供給がままならなくなり、ロントリー社は、「キットカットチョコレートクリスプ」のレシピの変更を余儀なくされました。レシピおよび味の変更に伴う、消費者からの信頼を失うことを懸念したロントリー社は、「チョコレートクリスプ」という名前をパッケージから外して「キットカット」だけを残し、さらにこれまでの赤いパッケージから青に変更。「戦争が終わるまでチョコレートクリスプは作れません」と広告を打ちました。さらにパッケージには、「平和な時代に楽しんでいただいていたチョコレートクリスプは、牛乳不足のため作ることができなくなりました。この「キットカット」は、現在我々が提供できる、最大限味を近づけたレシピで作られた製品です。」と説明書きが付けられたのでした。
使用できる牛乳の量も徐々に回復し、赤いパッケージが戻ってきました。この時、ロントリー社が「ブランド」を軸とした戦略を始めたことにより、「チョコレートクリスプ」の文字が再び表示されることはなく、ついに「キットカット」ロゴだけが残ることにとなったのです。
この年初めて、「Have a break, have a KITKAT.」というコミュニケーションが開発され、このコミュニケーションを使ったテレビコマーシャルが作られると同時に、大きなキャンペーンがイギリスで開始されました。「Have a break, have a KITKAT.」は50年以上たった今でも、製品やコミュニケーションを通じて、世界中に届けられています。
ついに日本で「キットカット」が発売されました。
(※当時はネスレからの発売ではありません。)
ネスレがロントリー社の株式を取得し、「キットカット」を引き継ぎました。
日本で、合弁会社「ネスレ マッキントッシュ株式会社」が設立され、ネスレ霞ヶ浦工場で「キットカット」の製造が始まったのです。
1996年、イギリスで、世界初となる、ミルクチョコレート味以外の「キットカット」「キットカット オレンジ味」が誕生。1999年、同じくイギリスで、大きめのバータイプの「キットカット」が発売されるなど、1990年以降さまざまな形状やフレーバーの「キットカット」が世界で発売、楽しまれるようになりました。
「キットカット」を使った応援は、九州の方言で『きっと勝つとぉ(きっと勝つよ!)』が「キットカット」に似ていることから、九州を中心に受験生の間で自然に生まれ、2002年頃から受験生の間に口コミで広まり始めました。今日では、受験生が受験会場に持参したり、受験生を応援する人達(教師・家族・友人)から受験生へ激励の意味を込めて贈ったりする姿も見かけるようになっています。そして、「キットカット」は、受験だけではなく、恋愛、スポーツのシーンなどでも、心の支えのような存在として、大切な人に応援や感謝の気持ちを伝えるコミュニケーションツールとして親しまれています。
何かと多忙のこの時代に、「Have a break, have a KITKAT.」でブレイクを呼び掛け、おいしいチョコレートと、サクサクとしたウエハースが作り出す絶妙な味わいで、みなさまに喜びと素敵なブレイクをお届けしています。 世界と比較すると、「キットカット」発売自体はそれほど早くはなかった日本。しかし、なんと現在、「キットカット」の本国・イギリスに次ぐ、世界トップレベルの「キットカット」消費国なのです!!日本で発売された「キットカット」の種類はなんと400以上。世界に類を見ないスピードで「キットカット」の開発を進めています。
掲載された画像は、「キットカット」に関する史実を紹介するためのものであり、広告・宣伝を目的としたものではありません。